

2026.10.01 (木曜日)
こんにちは!ニットー初!20代の社員Aです!
本当にタイムリーな話なのですが、つい先日、
9月29日に、男子バレーボール選手の髙橋塁選手が、
ご自身のSNSで同性愛者であることを公表しました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3f52d75c9a509f0bd9d1c8e61f1bca65e1ad0383


https://x.com/rui_takahashi_/status/2104722827391697139 より参照
私はその投稿をX(旧Twitter)で拝見していたのですが、
それを報じるニュースの投稿には、こんなリプライが目立ちました。
「こういうことをイチイチ公表しなくても良い世の中になってほしい。」
確かに今は、LGBTQという言葉や考え方も以前より広く知られるようになり、
「多様性を認めよう」という価値観も社会に浸透してきたように感じます。
その一方で、
「LGBTQ当事者だからといって、特別視する必要はないのではないか」
「わざわざ公表しなくてもいいのではないか」という声もあります。
これは、本当にデリケートで難しい問題だと思います。
なぜなら、セクシュアルマイノリティの人は、カミングアウトをしない限り、
周囲から異性愛者であることを前提にされる場面が少なくないからです。
例えば、身近な人との何気ない会話の中で、
「彼氏(彼女)はいるの?」「好きな人はいるの?」「どんな異性がタイプ?」
といった話題になることがあります。
そんなとき当事者は、
「本当は同性が好きだけれど、好きな相手を異性に置き換えて話す」
「好きな同性がいるけれど、それを話すこと自体がカミングアウトにつながるため、
恋愛の話をなかなかできない」
といった悩みを抱えることがあります。

https://ampmedia.jp/2023/08/03/lgbt-research-gay/ より参照
もちろん、すべての当事者が同じ悩みを抱えているわけではありません。
それでも、「異性愛者であることを前提にされる」という経験は、
セクシュアルマイノリティの人にとって決して珍しいものではないと思います。
だからこそ、私は今回の髙橋塁選手の公表について、
「わざわざ公表しなくてもいいのでは?」
という言葉だけでは語れないものがあるのではないかと感じました。
髙橋選手自身も、幼い頃から自分自身のセクシュアリティについて悩み、
否定していたことを明かしています。
そして、約2年間、弟の髙橋藍選手と同じチームで過ごし、
藍選手と話したことをきっかけに、
初めて自分自身を認めることができたと語っています。
そのうえで、新しいシーズンを迎えるタイミングに、
自分自身の言葉でファンに伝えることを選んだのです。
https://www.nikkansports.com/sports/news/202609290000565.html
公表することが正解なのでも、公表しないことが間違いなのでもありません。
カミングアウトするかどうかは、その人自身が決めることです。
ただ、「公表しなくてもいい世の中になってほしい」という言葉の裏側には、
「なぜ公表する必要があるのか」という疑問があるのだと思います。
その疑問を考えるときには、
「そもそも、なぜ今まで異性愛者であることはわざわざ公表しなくてもよかったのだろう?」
という視点も必要なのではないでしょうか。
「彼氏ができた」「彼女ができた」と話すことは、
必ずしも「自分は異性愛者です」と宣言することではありません。
それでも、日常の中では異性との恋愛が
「普通」のものとして語られることがあります。
だからこそ、同性を好きになる人にとっては、自分の恋愛について話すだけでも、
「自分は同性愛者です」と伝えることと同じくらい
大きな意味を持ってしまう場合があるのです。
今回、髙橋塁選手が自分自身の言葉で公表したことを見て、
私は改めて「誰もが自分らしく生きられる」ということについて考えました。
「みんな同じ人間なのだから、特別扱いする必要はない」。
その考え方自体は、決して間違っているものではないと思います。
ただ、表面上は同じように見えても、
日常の中で経験する「当たり前」には、まだ違いがあります。
その違いを知ることもまた、多様性を認めるということなのではないでしょうか。
髙橋塁選手の今回の公表が、
これまで自分自身を受け入れられずに悩んできた人にとって、
自分らしく生きるための一つのきっかけになればいいなと思います。
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